世界で活躍する40歳代の指揮者のトップランナーであるアンドリス・ネルソンスが11月、日本で2つのオーケストラを指揮してその実力を発揮してみせた。ひとつはネルソンスが音楽監督を務めるボストン交響楽団の日本公演。もうひとつはセイジ・オザワ松本フェスティバル30周年記念特別公演でサイトウ・キネン・オーケストラを指揮した。両公演についてリポートする。(宮嶋 極)
【ボストン交響楽団日本公演】
ネルソンスは2014年にボストン響音楽監督に就任し、現在まで良好な関係を続けているほか、17/18年シーズンからはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長)も兼務していることに加えて、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルへ定期的に客演するなど世界の名門オケから引っ張りだこの人気ぶりである。ボストン響を率いて2回目の来日となる今回はマーラー、ショスタコーヴィチ、リヒャルト・シュトラウスの編成の大きな作品をそれぞれメインに据えた3つのプログラムを披露した。
取材したのは14日、サントリーホールで行われたプログラムB、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ=内田光子)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番の公演。
ボストン響は2002年まで29年間にわたって小澤征爾が音楽監督を務めていたことで来日機会も多く米国のオーケストラの中では私たち日本の聴衆にはなじみ深い楽団ではある。5年ぶりに聴いたそのサウンドは随分と変わったように感じた。変な言い方だが以前よりも米国的になったというのであろうか。かつてボストン響はビッグ5と呼ばれる全米メジャー・オケの中では落ち着いた音色でアンサンブルの精度に重きを置いたヨーロッパ的な演奏をするオケとの評価が一般的であった。当夜のショスタコーヴィチを聴く限り、金管楽器が大きく(強く、というイメージではない)鳴り、全体に開放的なサウンドを高らかに響かせるのは1980年代のシカゴ響のサウンドに少し似ているなと感じたからだ。もちろんそれが悪いということではない。
そのショスタコーヴィチの交響曲第5番ではネルソンスの棒の下、オケ全体が高い集中力をもって、微細な弱音から前述した通りの開放的なフォルティシモまで幅広いダイナミック・レンジで掘りの深い表現を次々と繰り出し音楽を組み立てていく。特に第3楽章はかなり遅めのテンポで旋律やフレーズのひとつひとつに細かなニュアンスが込められていた。第4楽章はコーダに向かって大きな山を構築していくスタイルで壮麗なフィナーレを作り上げ、オーケストラ音楽の醍醐味(だいごみ)を満喫させてくれる演奏となった。
前半のベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番も全体に遅めのテンポ。じっくりと弾き込んでいく内田のピアノをネルソンスとボストン響は明るく柔らかなサウンドで支え、全体としては最近では珍しくなったロマンの香りあふれるベートーヴェンに仕上げていた。
内田が深々と頭を下げてお辞儀をするのをネルソンスも真似してみせ、会場の笑いを誘っていた。なお、全体の終演後はオケが退場しても拍手が鳴りやまずネルソンスは1度、舞台に呼び戻されていた。
【セイジ・オザワ松本フェスティバル30周年記念特別公演】
ボストン響に続いて今度はセイジ・オザワ松本フェスティバル(旧サイトウ・キネン・フェスティバル松本)の30周年記念公演に登場し、サイトウ・キネン・オケ(SKO)を指揮してマーラーの交響曲第9番を聴かせた。取材したのは2日目、長野市にあるホクト文化ホールでの公演。長野でSKOを聴くのは初めてだったが、このホール自体も筆者には初体験。1階前方のやや下手寄りの席だったが、松本市のキッセイ文化ホールよりは響きの伸びが良い印象。
〝季節外れ〟のSKOながら国内組を中心とした弦楽器はもちろん、ホルンの名手ラデク・バボラーク(元ベルリン・フィル首席)ら管楽器の海外プレイヤーも含めて主要メンバーがほぼ勢ぞろいしてのステージ。内外の手練(てだ)れたちがネルソンスに導かれて徐々に燃焼度を上げながら、濃厚なサウンドで緻密にアンサンブルを組み立てていく様は圧巻であった。
第1楽章こそ小澤が指揮した時のような均一性と親密さに欠けるかなと感じながら聴いていたが、曲が進むにつれてネルソンスへの求心力が徐々に高まっていくような雰囲気が醸成され、演奏も熱を帯びていく。ホルンのバボラーク、トランペットのガボール・タルケヴィ(主催者表記はタルコヴィ、前ベルリン・フィル首席)のソロも驚異的な安定感と自在な表現で演奏にさらなる力をもたらしていく。名手たちの表現がぶつかり合うような白熱した第3楽章を経て、第4楽章は弦楽器による重厚な響きがうねるようにして深い呼吸感を伴った旋律線を描き出し、あたかもすべての聴衆を巨大な渦の中に巻き込んでいくような音空間を現出させたのである。ネルソンスはやはりただ者ではない。
デリケートな最弱音で曲が終わっても会場はしばらく静寂に包まれ20秒近く拍手が出ないほど聴衆も一体となって演奏に集中した。その分、盛大な拍手が沸き起こり、オケが退場しても鳴りやむことなく、ネルソンスはかつて小澤がそうしていたようにメンバー全員を引き連れてステージに2度再登場し、喝采に応えていた。
公演データ
〇プログラムA
11月9日(水)19:00 横浜みなとみらいホール
13日(日)16:00 サントリーホール
マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
〇プログラムB
11日(金)19:00 フェスティバルホール(大阪)
14日(月)19:00 サントリーホール
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」(ピアノ=内田 光子)
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調Op.47「革命」
〇プログラムC
10日(木)19:00 京都コンサートホール
15日(火)19:00 サントリーホール
ショウ:「Punctum」オーケストラ版(日本初演)
モーツァルト:交響曲第40番ト短調K550
リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲Op.64
11月25日(金)19:00 キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)
26日(土)15:00 ホクト文化ホール(長野県県民文化会館)
指揮:アンドリス・ネルソンス
管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ
マーラー:交響曲第9番ニ長調
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。