初回から149年目を迎えたバイロイト音楽祭、今年は7月24日から8月26日までの間、8演目が上演された。同音楽祭のリポート第1回は新制作された「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ダニエレ・ガッティ指揮、マティアス・ダーヴィッツ演出)について報告する。取材したのは8月11日、4回目の公演。
(宮嶋 極)

まずは上の写真をご覧いただきたい。今年の新プロダクションである「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(以下、マイスター)の最終場面である。ポップで明るい舞台はよい意味でバイロイトらしからぬものといえよう。演出を担当したマティアス・ダーヴィッツはドイツ語圏における著名なミュージカル演出家であり、俳優や映画監督としても活躍した経歴の持ち主。その彼が創り上げたステージはポップな舞台装置を背景にこの作品本来の喜劇という面に光を当て、上質なエンターテインメントのような人間劇に仕上げていた。

「マイスター」はワーグナーの舞台作品の中でもとりわけ、戦前から戦中にかけてナチスのプロパガンダにも利用されたことでも知られ、そうした歴史的経緯もあって戦後バイロイトにおいては政治的、社会的メッセージ性を織り込んだ演出コンセプトが多かったが、戦後80年を機にようやくこうした〝呪縛〟から解放されたプロダクションが登場したということができるのかもしれない。

第1幕への前奏曲に続いて幕が開くと約40段の急階段の見上げるような頂点に教会が設(しつら)えられている。急階段を昇降する登場人物たちを見ていると足を滑らせて転落するのではないかとのハラハラドキドキを覚えるがその不安定感も演出家の狙いのひとつであろう。台本本来の設定は聖カタリーナ教会におけるシーンだが、デフォルメされた装置とはいえ教会を見たのはいつ以来であろうか。この教会、西欧文明、精神世界の頂点をなす象徴と位置付けることがてきよう。
第2場以降は舞台を90度回転させると、バイロイト祝祭劇場を思わせる階段状のセット。マイスターたちがヴァルターの資格審査を行う際に座るいすは祝祭劇場のそれとまったく同じもの。従来の規則に縛られないヴァルター(マイケル・スパイアーズ)の歌に一同が困惑しているところで、例の教会が突然爆発して消えてなくなり幕となる。

第2幕もニュルンベルクの古い街並みをイメージしたような大道具とアニメの世界観を連想させる装置の中で客席から何度も笑いが沸き起こる軽妙な芝居が繰り広げられる。とりわけ、敵役である市の書記官ベックメッサーを演じたミヒャエル・ナジはロックのギタリストのような風体で登場し巧みな歌唱と演技で何度も笑いを誘っていた。

第3幕は1場から4場まで靴の工房で進行するのは台本本来の設定通り。この演出、基本的には台本に忠実な進行だが、唯一違ったのは終盤の歌合戦の場面。勝者への賞品がポーグナーの娘、エーファ(クリスティーナ・ニルソン)であることへの違和感が〝おかしさ〟として表現されていた。この違和感は第1幕で主人公ハンス・ザックス(ゲオルク・ツェッペンフェルト)が指摘しているのだが、ダフィッツはそこをクローズアップしているわけだ。歌合戦の場に登場したエーファは日本の菊人形のごとく花の中に埋もれてモノのような扱い。滑稽である。台本では歌合戦を制したヴァルターがマイスターのメダルを拒否するが、ザックスの説得により受け取る。今回は〝花人形〟から解放されたエーファがヴァルターの手からメダルを奪い取り、父ポーグナーに突き返す。現代の装いのヴァルターとエーファはその場を去り、幕が下りる。セットの天井からぶら下がる大きな牛はいにしえのドイツで牛が「〇〇合戦」の賞品となった例が多かったことがプログラムノートに記されている。

指揮はダニエレ・ガッティ。バイロイトへはシュテファン・ヘアハイム演出の「パルジファル」(2008~11)以来の登場。最近流行の楽譜の構造をスケルトンのようにクリアに聴かせるのではなく、歌の美しさとハーモニーの構築に重点を置いた音楽作り。各幕の所要時間は1幕(85分)、2幕(60分)、3幕(130分)と中庸なテンポ設定。ただ、ヴァルターの劇中歌「朝はばら色の光に輝き」などのいわゆる歌の場面ではテンポを大きく落としてタップリと歌わせていたのは好みが分かれるところだろう。現にカーテンコールではガッティに対して若干のブーイングが出ていた。とはいえ、指揮者の目指す方向性が明確に伝わる演奏は評価できるものであった。

歌手ではザックス役のツェッペンフェルトが軽妙さの中にも思慮深さを感じさせる歌唱と演技で終演後には盛大な喝采を集めていた。ヴァルターを演じた米国出身のテノール、スパイアーズ、エーファ役のニルソン(スウェーデン出身)の若手コンビはいずれもバイロイト2年目だが、柔らかく伸びのある声を駆使した歌唱と生き生きとした芝居で、公演の成功に大きな役割を果たしていた。バイロイトの次の10年を支えていく歌手になっていくことが期待される。ベックメッサーを演じたナジは前述の通り。また、第3幕、コーラスが裏からではなく最後まで舞台上で歌ったことで、バイロイト祝祭合唱団の圧倒的なパワーと美しいハーモニーを十分に堪能することができた。


なお、さらなる詳細について9月13日(土)13時~17時、東池袋の「あうるすぽっと」(https://www.owlspot.jp/about/outline/)で開催される日本ワーグナー協会の例会で、筆者が報告を行う予定なので、ご興味のある方はぜひ、お出かけください。
問い合わせ 日本ワーグナー協会 電話 03-3454-5662 (月・水・金 13:00〜17:00)
公演データ
バイロイト音楽祭2025
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」新制作上演
8月11日(月)16:00 バイロイト祝祭劇場
指揮:ダニエレ・ガッティ
演出:マティアス・ダーヴィッツ
舞台美術:アンドリュー・D・エドワーズ
衣装:スザンヌ・ハブリッチ
合唱指揮:トーマス・アイトラー=ド・リント
ドラマツルギー:クリストフ・ワーグナー=トレンクヴィッツ
照明:ファブリス・ケブール
振付:サイモン・アイヒェンベルガー
ハンス・ザックス:ゲオルク・ツェッペンフェルト
ファイト・ポーグナー:パク・ジョンミン
クンツ・フォーゲルゲサング:マルティン・コッホ
コンラート・ナハティガル:ヴェルナー・ファン・メッヘレン
ジクストゥス・ベックメッサー:ミヒャエル・ナジ
フリッツ・コートナー:ジョルダン・シャナハン
バルタザール・ツォルン:ダニエル・イェンツ
ウルリッヒ・アイスリンガー:マシュー・ニューリン
オーガスティン・モーザー:ギデオン・ポッペ
ヘルマン・オルテル:アレクサンドル・グラウザウアー
ハンス・シュヴァルツ:ティル・ファヴェイツ
ハンス・フォルツ:パトリック・ツィルケ
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:マイケル・スパイアーズ
ダーヴィット(ザックスの徒弟):マティアス・スティアー
エーファ(ポーグナーの娘):クリスティーナ・ニルソン
マグダレーネ(エーファの侍女):クリスタ・マイヤー
夜警:トビアス・ケーラー ほか
合唱:バイロイト祝祭合唱団
管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。