昨年10月から今年2月までの間、ヨーロッパですぐれたオペラの鑑賞を重ねた。その中で、記録にとどめておきたいベルカント・オペラの傑出した舞台を3つ紹介したい。(香原斗志)
ペルトゥージの真摯な祈りが圧巻の「エジプトのモーゼ」
少し遡るが2024年10月27日、ピアチェンツァで観た「エジプトのモーゼ」から始める。ロッシーニがイザベラ・コルブランをヒロインに想定して書いたオペラ・セリアだが、作曲家自身が「オラトリオ」と呼んだように宗教色が強く、ヴェルディが「ナブッコ」の参考にしたという。
ピエール・フランチェスコ・マエストリーニの演出は正統的で、エジプトの宮殿も廃墟も映像をうまく使いリアルで美しい。ジョヴァンニ・ディ・ステファノの指揮も適度に劇的で、軽やかで、荘厳で、満足度が高い。
初演でコルブランが歌ったエルチア役のアイーダ・パスクも悪くないが、ソプラノでは東京・春・音楽祭2024の「ラ・ボエーム」でムゼッタを歌ったマリアム・バッティステッリのアマルテア役が、鮮やかな響きと高度な装飾歌唱で優れていた。ファラオーネ役のアンドレア・ペッレグリーニもいいバスだ。ヒロインを愛するオシリデ役のデイヴ・モナコは、美しい発声と安定した響き。近く頭角を現すだろう。
だが、なんといっても品格が高く圧巻だったのはモーゼ役のミケーレ・ペルトゥージ。第3幕の愛国的な祈りの合唱に続き(拍手が止まらずアンコールされた)、モーゼがピアニッシモで歌い始めると、真摯な祈りの深さに涙が込み上げた。

ヴェルディを予見させる「ルクレツィア・ボルジア」を2キャストで
2月18日、ローマ歌劇場でドニゼッティ「ルクレツィア・ボルジア」を鑑賞。初演は1833年で、2日後に観た「ランメルモールのルチア」より2年近く早いが、劇的な音楽はヴェルディを予見させる。指揮のロベルト・アバトは旋律美を活かしつつ劇的なアクセントを強調し、そうした特徴を引き出した。ヴァレンティーナ・カラスコの演出は、カーテン状の装置が中心なのが物足りないが、ドラマの邪魔はしない。
題名役のリディア・フリードマンは技巧的なパッセージを含め安定した歌唱。奥にこもった声はイタリアの輝きと異なるが、この役をこの水準で歌えるソプラノは少ない。

実はルクレツィアの息子で毒殺されるジェンナーロは、バリトン的な力強い声で柔軟に歌うエネア・スカラ。いつもながら流麗なフレージングに力がある。ルクレツィアの夫のアルフォンソ役はアレックス・エスポージトで、以前より劇的な響きが増しながら、美しさが損なわれていない。力強さと貴族的な気品が両立していた。
翌日も別キャストで「ルクレツィア」を観たが、題名役のアンジェラ・ミードに圧倒された。響きのスケールが大きく、表現のすべてに余裕があり、弱音も飛び切り美しい。かつてのモンセラート・カバリエを彷彿させた。アルフォンソ役のカルロ・レポレも好演。マッフィオ・オルシーニ役のメゾ、テレーザ・イエルヴォリーノも美しいベルカントが光った。

ジェシカ・プラットのルチアはデヴィーア以来か
2月20日、ボローニャ市立劇場での「ランメルモールのルチア」(修復中のため仮説劇場での上演)の初日は、ジェシカ・プラットが歌う題名役が圧倒的な出来映えだった。
言いたいことはある。指揮はダニエル・オーレンだがカットが多く、ルチアとライモンドの二重唱も、エドガルドとエンリーコの決闘の二重唱もない。エドガルド役のイヴァン・アヨン・リヴァスは声をよく制御して歌うが、スタイルが後期ロマン主義的だ。それでもプラットがすべての穴を埋めてしまう。

装飾歌唱が万全なのはもちろん、自然な発声でどんな表現もやわらかく、輝かしい倍音を伴う。旋律に自在に強弱をつけ、無限のニュアンスを伝えるのが歴史的なベルカントなら、彼女の歌唱は正真正銘のベルカントで、この水準のルチアはマリエッラ・デヴィーア以来ではないか。しかも声の魅惑的な輝きはデヴィーアを上回る。
プラットは2024年8月、ペーザロでのロッシーニ「ビカンカとファッリエーロ」でズボン役の脇園彩を相手にヒロインを演じ、歌唱に磨きがかかっていて驚いたが、さらなる高みに登った感があった。ほかにはライモンド役のマルコ・ミミカが傑出していた。

公演データ

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。