クラシックナビを毎日新聞のニュースサイト「毎日jp」の中で展開していた時から毎年、お伝えしている在京オーケストラによる年末恒例のベートーヴェンの交響曲第9番の公演聴き比べリポート。2023年は新型コロナ・ウイルスの感染法上の取り扱いが5類に緩和されたことを受けて、各オケとも合唱の人数や配置も含めて完全に〝通常モード〟に戻しての開催となった。今年は6公演を取材、公演日順に2回に分けてリポートする。(宮嶋 極)
【ヤン=ウィレム・デ・フリーント指揮 読売日本交響楽団】
読売日本交響楽団の指揮台に立ったのはオランダの名匠ヤン=ウィレム・デ・フリーント。作曲家在世当時の楽器や演奏スタイルを再現するピリオド(時代)奏法の研究・実践に加えて、それを現代オーケストラに応用することに関しても定評のあるデ・フリーントだけに弦楽器は12型の小編成で、全曲にわたって完全ノー・ヴィブラート。管楽器も譜面に指定された通りの数だが、古楽オケのようなナチュラル・トランペットやバロック・ティンパニなどは使わないところはこの指揮者の真骨頂なのかもしれない。
第1、2楽章はシャープに引き締まったアンサンブルで作品の構造を堅固に描き出していくスタイル。第3楽章は長い音符の役割の違いを細かく弾き分けさせるなど、細部にまでこだわりを感じさせる音作りが目立った。第4楽章もぜい肉をそぎ落としたかのようなシンブルでストレートな響きをベースにフィナーレに向かって力を蓄えていくようなアプローチ。コーダの力強さは小編成にもかかわらず目を見張るものがあった。ピリオド奏法の要素を取り入れた現代オケによるベートーヴェン演奏のひとつのお手本ともいうべき徹底ぶりであろう。弦楽器がノー・ヴィブラートの場合、音程はある意味〝一発勝負〟となるのだが、指揮者のこうした要求に応えて正確な音程で澄んだ響きを紡ぎながら、緻密なアンサンブルを繰り広げた読響の技術力の高さを再確認する機会ともなる演奏であった。
☆公演・演奏データ
使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)12・10・7・6・4
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:約66分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ:森谷 真理 メゾ・ソプラノ:山下 裕賀 テノール:アルヴァロ・ザンブラーノ バス:加藤 宏隆 合唱指揮:三澤 洋史 合唱:新国立劇場合唱団
コンサートマスター:長原 幸太
〇前半
オルガン:大平 健介
J・S・バッハ:主よ人の望みの喜びよ BWV 147/10
J・S・バッハ:トッカータとフーガ ハ長調BWV 566a
取材日:12月15日(金) 東京芸術劇場コンサートホール
【下野 竜也 指揮 NHK交響楽団】
NHK交響楽団の指揮は今年10月、同団正指揮者に就任したばかりの下野竜也。就任後初の共演であり、第9公演でも初顔合わせとなった。
最初にバーバーの弦楽のためのアダージョが演奏され、そのまま休憩を挟まずに第9が演奏された。弦楽のためのアダージョは米国のケネディ元大統領の葬儀で使われたことで知られるが、今でも鎮魂や追悼のシーンで演奏されることが多い。今年は昨年から続く、ロシアによるウクライナへの侵略戦争に加えて、パレスチナ紛争の激化で多くの人が戦火に倒れた年となった。人類愛を高らかに歌い上げた第9に先立ってこの曲が演奏されたことに、こうした悲劇に思いを馳(は)せた聴衆は筆者だけではないだろう。タイムリーで強いメッセージ性のある選曲であった。
さて、第9であるが弦楽器は16型のフル編成で、木管各パートに1人ずつアシスタント奏者(アシ)を配して演奏が行われた。ピリオドなど最新の奏法も適度に取り入れつつ、20世紀以来の伝統的なスタイルの利点もほどよく生かしたバランス型のアプローチ。といっても中庸な解釈ではなく、特定の音符やフレーズを強調するような音作りが印象的で、下野の研究と実践の積み重ねの成果を感じさせる出来ばえであった。全体としてはN響の重厚なサウンドと相まって、多くの聴衆が受け入れやすい端正な演奏に仕上がっていた。
☆公演・演奏データ
使用譜面:校訂版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)16・14・12・10・8
管楽器:木管各パートにアシスタント奏者1人(ピッコロ、コントラファゴット持ち替え)
演奏時間:約70分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ : 中村 恵理 メゾ・ソプラノ : 脇園 彩 テノール : 村上 公太 バス : 河野 鉄平
合唱指揮:冨平 恭平 合唱 : 新国立劇場合唱団 コンサートマスター:伊藤 亮太郎
〇前半
バーバー:弦楽のためのアダージョ
取材日:12月22日(金) NHKホール
【出口 大地 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団】
東京フィルハーモニー交響楽団には第17回ハチャトゥリャン国際コンクールで日本人として初優勝を果たし、クーセヴィツキー国際指揮者コンクールでも最高位に輝くなど今、注目の指揮者、出口大地が登場した。出口は今年34歳、指揮者としては若手であり、第9を指揮するのも今回が初めてだという。
前半、第9の初演時に演奏されたベートーヴェンの「献堂式」序曲が取り上げられたが、清新かつ推進力に富んだ演奏に後半への期待が膨らむ。
弦楽器は12型(チェロは8人に増強)で、管楽器はホルンにアシスタント奏者が1人付いただけで他のパートは譜面の指定通り。弦楽器のヴィブラートは少なめながら完全になし、というわけではなく、ピリオド奏法の要素も必要に応じて取り入れたスタイルということができる。
すっきりと見通しのよい響きが構築され、普段あまり気付かない箇所で木管楽器の内声部が聴き取れたりしたのも面白かった。第4楽章のコーダでは音量をコントロールして、段階を踏むように盛り上がりを形成するなど、彼なりの勉強の結果が演奏のあちらこちらに反映されていた。全体的にはバランスの取れたスマートな演奏で初めての第9挑戦としては上々の出来だったと評価したい。その一方で予想外ながら、やや優等生的な感がなきにしもあらず。あえて欲を言えば若手ならではの破天荒さや強烈な個性の発露がもう少しあってもよかったような気がした。欲張りすぎか…。
☆公演・演奏データ
使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)12・10・8・8・6
管楽器:ホルンにアシスタント奏者1人、他パートは譜面の指定通り
演奏時間:約66分
ソプラノ:光岡 暁恵 アルト:中島 郁子 テノール:清水 徹太郎 バリトン:上江 隼人
合唱指揮:水戸 博之 合唱: 新国立劇場合唱団 コンサートマスター:三浦 章宏
〇前半
ベートーヴェン:「献堂式」序曲Op.124
取材日:12月23日(土) サントリーホール
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。