8月に行われ、4年ぶりに訪れたペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)のレポート。最終回はハイレベルだったコンサートについて報告する。(香原斗志)
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名演で出会う名歌手たち~ペーザロ・ロッシーニ・フェスティバル2023レポート②
ROF初登場、ローザ・フェオラの洗練
ROFでは毎年、オペラの出演者および聴いておくべきベルカント歌手のコンサートもいくつか開催される。今年はオーケストラ伴奏で2つ、ピアノ伴奏で3つ開催された。会場は伝統あるロッシーニ劇場が地震で被害を受けたため、テアトロ・スペリメンターレ(実験劇場)が使われた。
前者の先陣を切ったのが、いまや世界最高峰のソプラノのひとりに数えられるローザ・フェオラ。意外にもROF初登場である。「泥棒かささぎ」「イタリアのトルコ人」「セミラーミデ」「タンクレーディ」からアリアを歌ったが、いずれも高度に洗練されていた。インタビューすると、フェオラはロッシーニのフレーズの作り方についてこう語った。
「ロッシーニの旋律にはアジリタがあっても、ベッリーニの長い旋律の歌い方とあまり違いません。師匠のレナータ・スコットにそう導かれました。ロッシーニのアジリタは激しいものではなく、むしろ華麗な装飾。同様に長い旋律を、装飾で飾るかどうかの違いなのです」
長いレガートの旋律を美しく飾る、というアプローチが、あの心地よい美しさにつながるのだろう。どの音域も均質な音で、弱音もコントロールが行き届き音圧は保たれる。そういう歌唱に加えられた装飾はこのうえなくエレガントだ。
続いてロシア出身のメゾ・ソプラノ、マリア・カタエーヴァ。力強い声に畳み掛けるように自在にアジリタを加える。フェオラのように長いラインを磨き上げるのではなく、もっと運動性能を追求した歌唱で、これはこれでいい。
ピアノ伴奏のコンサートの先頭は、メゾ・ソプラノのテレザ・イエルヴォリーノ。アジリタに秀でた歌手だが、歌唱フォームが端正で古典的な趣が表現されるのがよい。次に「エドゥアルドとクリスティーナ」に出演したエネア・スカーラ。力強い声と激しいアジリタが同居しており、どんな曲も力強く歌うが、そう歌えるのも力があればこそではある。
最後が「エドゥアルドとクリスティーナ」に主演したアナスタシア・バルトリで、ピアノは母親のチェチーリア・ガスディア。マクベス夫人で始まってロッシーニで締める、彼女にしかできないプログラムだが、事実、初期ヴェルディの役は、初演当時はロッシーニ歌手が歌っていた。バルトリのテクニックを通し、元来両者に求められたテクニックが近いことをあらためて教えられる。
マリオッティ指揮「小荘厳ミサ曲」の崇高さ
きわめてレアな「教皇ピウス9世を讃(たた)えるカンタータ」の演奏会もあった。そこにもピエトロ・アダイーニ(テノール)、マリーナ・モンゾ(ソプラノ)ら、ロッシーニ・アカデミー出身の珠玉の若手が集まった。
最終日に演奏されたのはミケーレ・マリオッティ指揮の小ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)。ロッシーニが初演後に成立させた管弦楽版での演奏だったが、指揮のミケーレ・マリオッティはインタビューに「2台のピアノとアルモニウムのために書かれた初演バージョンの親密な音を、管弦楽での演奏でも失われないようにする」と語った。事実、マリオッティに導かれ、室内楽的な親密さが大切にされていた。
ソプラノのパートを歌ったローザ・フェオラは「ロッシーニの楽譜はシンプルですが、例えば『クルチフィクスス』と何度も繰り返す際、それぞれニュアンスや色彩を変化させます。そういう解釈で演奏を肉付けする必要があります」と言っていた。
そうした表現もマリオッティと共同で創り上げたのだろう。結果は、陶然とさせられる崇高な歌唱。マリオッティが「ロッシーニが晩年だから書けた最高傑作で、ヴェルディにとっての『ファルスタッフ』のような作品」と筆者に語ったのには納得するほかない、まさに天国的な演奏だった。
4年ぶりに訪れたROFは、以前にも増して集まる歌手の水準が高まっていた。総裁のエルネスト・パラシオが抜群の目利きであることが大きい。今後のオペラ界を支える歌手が輩出する場としても、ますます目が離せない音楽祭である。
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。