最近は、指揮者がプレトークなどで直接聴衆に言葉で語り掛けることが増えているように思われる。新日本フィルハーモニー交響楽団の佐渡裕音楽監督は、定期演奏会で、演奏前にその日の曲目について少し語ることにしている。また、開演の30分前などにプレトークの時間をとって、しっかりと指揮者に語らせるオーケストラもある。
確かに、オーケストラの定期演奏会は、オーケストラの「リサイタル」だから、トークはいらない、音楽だけを聴きたいという聴衆もいるだろう。しかし、珍しい曲目や凝ったプログラムで何か少し解説があった方がよいと思われるコンサートもある。佐渡監督の場合は、オーケストラと聴衆との間の距離を縮めるためにトークをしているという印象を受ける。
子供やファミリー向けのコンサートでは、トークは必須。そういうコンサートと定期演奏会との境界線はそんなにはっきりと引かれなくてもいいのではと思う。レナード・バーンスタインは、そのどちらをも自由に行き来していた。
1962年4月にグレン・グールドがバーンスタイン&ニューヨーク・フィルとブラームスのピアノ協奏曲第1番を共演したとき、演奏前に、バーンスタインは、「指揮者とソリストの意見が食い違っても演奏というものは答えが一つしか存在しないものではないので今回はグールドのアイデアにしたがって演奏したい、グールドとの演奏は好奇心をかき立てる音楽的実験である」というような内容の話を述べ、聴衆の興味を喚起した。バーンスタインのトークは、「ヤング・ピープルズ・コンサート」での名解説を思わせる、ユーモアを交えたもので、聴衆から爆笑さえ誘っていた。しかし、この演奏会に対して、ニューヨーク・タイムズの専属音楽評論家であるハロルド・ショーンバーグは酷評を書いた。守旧派のショーンバーグは、バーンスタインのトークを釈明ととらえ、ステージ上で指揮者が演奏の言い訳をするのは何事だと感じたのであろう。今から考えれば、ショーンバーグが演奏の前にスピーチを聞かされたことに腹を立てていただけなのかもしれない。
時代は流れ、現在、ニューヨークのジュリアード音楽院では、音楽について語るという科目もあり、同音楽院出身のヴァイオリニストの廣津留すみれによると、「ジュリアードの卒業リサイタルでは、ただ弾くだけではなく、壇上でプログラムについてのプレゼンテーションをすることが必須」になっているという。今や、音楽家がどのように聴衆とコミュニケーションを取るかは、個々のアーティストのパーソナリティだけの問題ではなく、学問的な課題ともなっているのである。
やまだ・はるお
音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。