~83~ ミュージカルのオーケストレーションについて

「ウエスト・サイド・ストーリー」などが演奏された都響のニューイヤーコンサート (C)堀田力丸 写真提供:東京文化会館
「ウエスト・サイド・ストーリー」などが演奏された都響のニューイヤーコンサート (C)堀田力丸 写真提供:東京文化会館

新年が明け、東京文化会館のニューイヤーコンサートに行った。演奏は原田慶太楼指揮東京都交響楽団。そのなかで、バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」が取り上げられた。しかし、この日は、オーケストラのコンサートでよく演奏される「シンフォニック・ダンス」ではなく、ジャック・メイソン(1906〜65)の編曲による「セレクション」が使用された。メイソンはアメリカの作曲家、オーケストレイター。この「セレクション」は10分ほどのものだが、「アイ・フィール・プリティ」、「マリア」、「トゥナイト」、「クール」、「アメリカ」などの有名ナンバーが並べられていて楽しめた。ブロードウェイでミュージカルがヒットして、すぐにアレンジされたものである。

 

ミュージカルでは、作曲家がオーケストラの隅々まで楽譜を書き上げるオペラとは違い、 売れっ子作曲家がメロディや作品の大枠を作り、熟練のアレンジャーがオーケストレーションを施して完成させるという分業システムが確立している。つまりミュージカルは作曲家とアレンジャーとのコラボレーションなのである。たとえば、「トップ・ハット」や「スイング・ホテル」(そのなかの「ホワイト・クリスマス」が大ヒット)で知られるアーヴィング・バーリンは、正規の音楽教育を受けず、楽譜も十分に書けなかったので、思いついたメロディを採譜者に書かせていたという。オーケストレイターとして名を残すロバート・ラッセル・ベネットは、ガーシュウィンの「踊らん哉(かな)」で作曲者のアシスタントを務め、オーケストレーションを完成させた。前述のメイソンもブロードウェイでミュージカルのオーケストレーションを手掛けた。

 

「ウエスト・サイド・ストーリー」では、バーンスタインは、シド・ラミンとアーウィン・コスタルの助けを借りてオーケストレーションを完成させた。そして1957年にミュージカルがブロードウェイで大ヒット。その流れで1961年2月に、ミュージカルからダンス・シーン(歌として有名な「サムウェア」も、舞台では、敵味方のないユートピアで踊る、幻想的なダンス・シーン)を中心に編んだ管弦楽作品「シンフォニック・ダンス」がニューヨーク・フィルによって披露された。この作品も、初演のプログラムにはバーンスタインの監修のもとにラミンとコスタルがオーケストレーションを行ったと書かれている。

 

クラシックの名曲として、「ウエスト・サイド・ストーリー」より「シンフォニック・ダンス」のユニークなところは、そういうミュージカルの流儀に従ったコラボレーションであるということ。そしてどこまでが誰の仕事であったのか、細部は今となってはわからないこと。クラシックの世界では、たとえばブルックナーの交響曲の何年稿で誰の校訂とか、マーラーの交響曲第10番の誰の補筆完成版とか、ディテールにこだわることが多いが、「シンフォニック・ダンス」を聴くと、そういうことにこだわり過ぎず、シンプルに音楽を楽しめばいいのではないかと思わせられる。

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山田 治生

やまだ・はるお

音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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