東京・春・音楽祭2026 東京春祭ワーグナー・シリーズvol.17「さまよえるオランダ人」

最良の時を迎えたニールントの熱唱とソディのオペラ指揮者としての手腕が発揮された充実の「さまよえるオランダ人」

東京・春・音楽祭の中心企画のひとつ、NHK交響楽団による「東京春祭ワーグナー・シリーズ」、今年の演目は「さまよえるオランダ人」。同作品を取り上げるのは2019年以来2度目で今回は英国出身でミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場などの名門オペラで活躍中のアレクサンダー・ソディが指揮台に立った。N響とは初共演。同シリーズといえばマレク・ヤノフスキとの名演が印象深いがソディはN響からまたひと味違ったワーグナー・サウンドを引き出し、才能の片鱗(へんりん)を披露した。

東京春祭ワーグナー・シリーズvol.17「さまよえるオランダ人」(C)中村朱里
東京春祭ワーグナー・シリーズvol.17「さまよえるオランダ人」(C)中村朱里

この日は序曲と全作の最終場面で「救済の動機」のない版、つまり初演時(1843年)に使われた初稿が採用されたが、劇中は改訂稿をベースに演奏された。例えば第2幕、ゼンタとオランダ人が初めて対面し彼女が悲鳴をあげる場面では金管とティンパニを省くなど刺激的なサウンドを減らした改訂版のデリケートな要素を重要視した音楽作りがなされた。N響の西川彰一芸術主幹に確認したところ「序曲の最終部分は初稿(ただし終わりの和音は違う)それ以外は(改訂版=通常版を)ノーカットで。(全曲の)最後も初稿(救済のテーマなし)」とのこと。

ソディは歌唱旋律やオケの中での主旋律だけでなく、木管による内声和音や弦楽器のトレモロにまで細やかなニュアンスをつけて精妙なアンサンブルを作り出していたのが印象的であった。全体の響きも柔らかに構築。指揮者の高度な要求に応えたN響の充実ぶりも特筆すべきもの。同シリーズも実質15回を数え、ワーグナーの〝語法〟がすっかり定着したようだ。

今回がN響との初共演となるアレクサンダー・ソディが、精妙なアンサンブルを作り出した(C)平舘平
今回がN響との初共演となるアレクサンダー・ソディが、精妙なアンサンブルを作り出した(C)平舘平

歌手陣ではゼンタのカミラ・ニールント(主催者表記=ニールンド)が出色の出来であった。第2幕の「ゼンタのバラード」からいたずらに声を張ることなく祈りの気持ちを込めたような弱音による繊細な表現が際立っていた。もちろん必要な場面ではオケや合唱の厚い音の壁を突き抜ける強い声も無理なく出しており、表現の幅が拡充されたように感じた。バイロイト音楽祭ではエリーザベトを手始めにエルザ、エーファ、ジークリンデ、イゾルデとワーグナー作品の女声役を次々に演じ成功を収め、今年はブリュンヒルデに初挑戦する。この日のゼンタも歌手として〝最良の時〟を迎えていることを実感させてくれる見事な歌唱であり、終演後には最も盛大な喝采を集めていた。

出色の歌声を聴かせたカミラ・ニールント(C)中村朱里
出色の歌声を聴かせたカミラ・ニールント(C)中村朱里

オランダ人役はドイツのバリトン、ミヒャエル・クプファー=ラデツキー。端正な歌唱でオランダ人の苦しみをストレートに歌い上げた。エリックのデイヴィッド・バット・フィリップもヘルデン・テノールに相応しい強く輝きのある声で激しく揺れ動く役の感情を表現した。歌手陣は総じて高水準だったが、欲をいえばダーラントのタレク・ナズミがこの役のコミカルな側面をもう少し表出できていれば、よりよかったように思えた。

オランダ人役のミヒャエル・クプファー=ラデツキー(C)中村朱里
オランダ人役のミヒャエル・クプファー=ラデツキー(C)中村朱里
エリック役のデイヴィッド・バット・フィリップ(C)中村朱里
エリック役のデイヴィッド・バット・フィリップ(C)中村朱里

とはいえ、全体としては高い完成度の上演であり、オケ退場後も指揮者と歌手たちが2度も舞台に呼び戻される盛り上がりとなった。

(宮嶋 極)

全体として完成度が高く、カーテンコールも大いに盛り上がった(C)中村朱里
全体として完成度が高く、カーテンコールも大いに盛り上がった(C)中村朱里

公演データ

東京・春・音楽祭2026
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.17 「さまよえるオランダ人」(演奏会形式)

4月5日(日)15:00東京文化会館 大ホール

指揮:アレクサンダー・ソディ
ダーラント:タレク・ナズミ
ゼンタ:カミラ・ニールント(主催者表記=ニールンド)
エリック:デイヴィッド・バット・フィリップ
マリー:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
舵手:トーマス・エベンシュタイン
オランダ人:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー

合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン

合唱:東京オペラシンガーズ
管弦楽:NHK交響楽団

コンサートマスター:長原幸太

プログラム
ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」(全3幕、演奏会形式上演)

他日公演
4月7日(火)18:30 東京文化会館 大ホール

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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