沖澤のどか指揮 第13回 NHK交響楽団 いわき定期演奏会

「東北に生きる」思いをモーツァルトの「レクイエム」に託して〜

東日本大震災と東京電力福島原子力発電所の事故から15周年の節目に「N響とモーツァルトの〝レクイエム〟を歌おう!」と、福島県いわき市の市民が特別の合唱団を立ち上げたのは2025年4月。11か月後の本番には160人全員が暗譜で臨んだ。楽譜を持っていたのは東京混声合唱団などからの応援組だった。指揮は青森県出身の沖澤のどか。今回がアリオス初登場に当たる。コンサートマスターの郷古廉も宮城県多賀城市の実家で大震災を体験している。合唱指揮には沖澤と同じく仏ブザンソンの国際指揮者コンクールで優勝した米田覚士が、昨年9月のコンクール以前からブッキングされていた。

福島県いわき市の市民が特別合唱団として参加した、モーツァルト「レクイエム」 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦
福島県いわき市の市民が特別合唱団として参加した、モーツァルト「レクイエム」 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦

オーケストラの編成は10型(第1ヴァイオリン10人)で、ティンパニ(植松透)にはウィーン・モデルの古典楽器を採用した。「アダージョとフーガ」の弦楽合奏の厚みはN響ならではだが、沖澤(全曲タクトなし)は必要以上に深刻とせず、ヴィブラートも控えめにしてキビキビと進め、楽曲の立体感を際立たせた。管楽器が加わったプロコフィエフの「古典」交響曲には沖澤が常任指揮者を務める京都市交響楽団の創立70周年記念企画として、今年から3年間の予定で取り組む「プロコフィエフ交響曲全曲演奏会」の前哨戦の趣もあった。ここでも沖澤のリズムは切れ上がり、疾走する中にユーモアやアイロニーが浮かんでは消えていく。フルートの甲斐雅之、クラリネットの松本健司ら木管首席のソロの妙味も存分に味わえた。

全曲タクトなしで指揮した沖澤のどか 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦
全曲タクトなしで指揮した沖澤のどか 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦

モーツァルトの「レクイエム」は小編成のオーケストラに巨大編成の合唱と、バランスをとるのが難しい組み合わせだったにもかかわらずN響の強い表現力、大人数でも心を一つにして言語の明瞭度と響きの透明度を失わない市民合唱団の歌声が渾然一体となり、稀にみる説得力を放った。力強さはもちろん、つねに人肌の温もりを感じさせる柔らかな感触や繊細な表現力に感心した箇所も多い。沖澤は彼らが存分に力を発揮できるよう、1曲ごとに十分な間を置いた。あくまでモーツァルト、市民合唱団が主役で指揮は「まとめ役」といった風情だったが、適確な様式感で全体を整えた。歌う1人1人が2011年3月11日から今日までの間に体験した哀しみや苦難を胸に秘め、永遠の安息を願う気持ちを沖澤やN響、聴衆も共有して唯一無二の音楽体験を可能にしていた。

モーツァルトの「レクイエム」では、歌う1人1人の想いが沖澤やN響そして聴衆と共有され、唯一の音楽体験を創り上げた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦
モーツァルトの「レクイエム」では、歌う1人1人の想いが沖澤やN響そして聴衆と共有され、唯一の音楽体験を創り上げた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦

独唱者にもドラマがあった。透明度を備えた松井亜希のソプラノ、底光りのする低音で支えたメゾ・ソプラノの小泉詠子、バッハ・コレギウム・ジャパンの宗教音楽演奏会の常連でスタイリッシュなバリトンの加耒徹それぞれが魅力的ななか、昨年春に脳出血で倒れ、一時は演奏活動どころか生命すら危ぶまれたテノール、清水徹太郎が他の3人と遜色のない美声で復帰を強く印象付けたのが、もう1つの感動だった。杖をついて現れたが、独唱の立ち座りは自力でこなし、心の底から振り絞るような歌を聴かせた。

ソリストたち(左からソプラノ松井亜希、メゾ・ソプラノ小泉詠子、テノール清水徹太郎、バリトン加耒徹)が魅力的な歌声を聴かせた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦
ソリストたち(左からソプラノ松井亜希、メゾ・ソプラノ小泉詠子、テノール清水徹太郎、バリトン加耒徹)が魅力的な歌声を聴かせた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦

アンコールにはいわき市内の中学生と高校生60人も加わって、同じ作曲家の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が奏でられた。彼らが舞台に並ぶ間、沖澤はマイクを持って客席に向かい「15年間のそれぞれの想いがモーツァルトの音楽の普遍の中で溶け合い、同じ場所に集まる不思議。特別な体験でした」と語りかけた。若者も加わり、さらに輝きを増した合唱の感動に包まれながら「東京から2時間半あまり車を走らせ、来た甲斐があった」と、心から納得できる演奏会だった。

(池田卓夫)

アンコールにはいわき市内の中学生と高校生60人も加わり、アヴェ・ヴェルム・コルプスを奏でた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦
アンコールにはいわき市内の中学生と高校生60人も加わり、アヴェ・ヴェルム・コルプスを奏でた 提供:いわきアリオス 撮影:布施雅彦

公演データ

第13回 NHK交響楽団 いわき定期演奏会

3月15日(日)14:00いわき芸術文化交流館アリオス アルパイン大ホール(福島)

指揮:沖澤のどか
ソプラノ:松井亜希
メゾ・ソプラノ:小泉詠子
テノール:清水徹太郎
バリトン:加耒 徹
合唱:いわき市民レクイエム合唱団(合唱指揮:米田覚士)
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:郷古 廉

プログラム
モーツァルト:アダージョとフーガ ハ短調 K.546
プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」Op.25
モーツァルト:レクイエム K.626

アンコール
モーツァルト:モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス(めでたし、まことの御からだ)」

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池田 卓夫

いけだ・たくお

2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。

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