充満するイタリアの声で示された「ドン・ジョヴァンニ」の原点
「ドン・ジョヴァンニ」は1787年10月にプラハで初演された際も、翌年5月にウィーンで上演された際も、キャスティングされたのはイタリア人歌手ばかりだった。すなわち、美しいイタリア語の響きと、当時のオペラ界をリードしていたイタリア人歌手の卓越した歌唱が前提とされていた。その原点を思わせる公演だった。
キャストには4人のイタリア人歌手が並び、彼らの歌唱により演奏が好ましい色合いになった。一人ひとり挙げると、まずドン・ジョヴァンニ役のヴィート・プリアンテ。英雄的な声で、ベルカントやバロックの難役で鍛えているだけあり、フレージングがスタイリッシュだ。また「シャンパンの歌」などに顕著だが、どんなに勢いよく歌っても、スタイルが崩れずノーブルな響きが保たれる。地獄落ちのときも同様で、なにも恐れず自分を貫くジョヴァンニの英雄性が、歌唱の質を通して表現されていた。
レポレッロ役のフランチェスコ・レオーネはより深い声で、そこにおどけや諧謔(かいぎゃく)、軽妙な味わいが加わり、ジョヴァンニとよい対称をなしていた。この2役のバランスが絶妙で、声の核ができあがった。
ドンナ・エルヴィーラ役のサラ・コルトレツィスは古典的な端正な歌唱で、響きがもう少し広がるといいが、声が少し詰まったところが、執着がつよいエルヴィーラらしかったともいえる。
とりわけ感銘を受けたのがドン・オッターヴィオ役のダーヴェ・モナコ(主催者表記=デイヴ・モナコ)だった。筆者はすでに海外で何度か聴き、リリックな美声と優雅なフレージング、卓越した装飾技巧に膝を打ってきたが、最初のアリアの優美なレガートから陶然とさせられた。第2幕のアリアでは長いブレスによるレガートがなんとまろやかなことか。キレのいいアジリタと効果的なピアニッシモも加わり、それらが有機的に統合して音楽として高貴であった。
一方、ドンナ・アンナ役のイリーナ・ルングはロシア人だがイタリア・オペラを得意とし、上記の4人と溶け合う。あえていうと歌唱のスケールが古典派の枠に収まらず、ロマン派的な柄の大きさは感じるが、第2幕のアリアでは声量や強弱をたくみに制御しつつ、ニュアンス豊かに歌い上げ、アンナの強い意志をにじませる。心を揺さぶられる歌唱だった。
歌唱のことばかり書いたのは、各人の存在感の強い歌唱が、それぞれイタリアの色彩を帯びながらまとまり、この公演の魅力を決定づけたと思うからである。マゼットの近藤圭やゼルリーナ(主催者表記=ツェルリーナ)の盛田麻央、また騎士長の田中大揮も上記5人と調和し、全体で鮮やかな声の共演が楽しめた。舞台をヴェネツィアに移したグリシャ・アサガロフの演出が、こうした声の世界と相性がよかったことはいうまでもない。
飯森範親の指揮は、歌声をしっかり聴かせつつ、要所でドラマを引き締めた。たとえば第1幕フィナーレ。3つの舞曲を舞台上で同時進行させた後の、めまぐるしいアンサンブルによる劇的な展開を、立体的に形成しながら鮮やかにまとめ上げた。
(香原斗志)
公演データ
新国立劇場 2025/2026シーズンオペラ
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
3月5日(木)18:00新国立劇場 オペラパレス
指揮:飯森範親
演出:グリシャ・アサガロフ
美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ
照明:マーティン・ゲップハルト
ドン・ジョヴァンニ:ヴィート・プリアンテ
騎士長:田中大揮
レポレッロ:フランチェスコ・レオーネ
ドンナ・アンナ:イリーナ・ルング
ドン・オッターヴィオ:デイヴ・モナコ
ドンナ・エルヴィーラ:サラ・コルトレツィス
マゼット:近藤 圭
ツェルリーナ:盛田麻央
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団
プログラム
モーツァルト:オペラ「ドン・ジョヴァンニ」
全2幕(イタリア語上演/日本語及び英語字幕付)
他日公演
3月7日(土)14:00、8日(日)14:00、10日(火)14:00、12日(木)13:00
新国立劇場 オペラパレス
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










