河村尚子 ピアノ・リサイタル

「別れ」を軸にしたプログラムで精神的にも技巧面でも成熟した境地をみせる

ドイツを拠点に活躍を続けるピアニスト、河村尚子は近年の進境が著しい。今回は「別れ」を軸に、肉親や友人との死別を経て作曲家たちが残した作品を集めた。こうした歯応えある企画への挑戦自体が、河村の内的充実を示すと言えるだろう。

河村尚子が「別れ」を軸に、肉親や友人との死別を経て作曲家たちが残した作品を披露 ⒸFUMITO
河村尚子が「別れ」を軸に、肉親や友人との死別を経て作曲家たちが残した作品を披露 ⒸFUMITO

ただし演奏自体は感傷や情緒に陥らず、思い切りが良いみずからのピアニズムを徹頭徹尾、貫くところが、また河村らしい。モダン楽器の特性を生かしたダイナミズムと、清潔で凜(りん)とした歌ごころが、全編で顕著だった。

冒頭のモーツァルト、ピアノ・ソナタ第8番イ短調は、パリへの楽旅で母アンナ・マリアを亡くした作曲家の悲痛な心境を映し出す名品。河村は第1楽章から速いテンポで焦燥感を表すが、歯切れ良いフレージングやアクセントで劇的な起伏を作り、ウェットな情感とは距離を置く。次の緩徐楽章ではクリアなタッチで品のある音色を紡いで、透徹した祈りを提示、自由な装飾もみせる。プレストの終楽章は左手方向のバスを利かせて彫りの深い表情を引き出し、ストレートにたたみ込んだ。

続くラヴェルの「クープランの墓」は、第一次世界大戦で散った友人たちの思い出に捧げられた組曲。作曲者の生誕150周年をとらえてのタイムリーな選曲だ。最初の「前奏曲」から解像度とスピード感が高く、印象派らしい和声感のふくらみよりは明快なテクスチュアが浮かび上がる。そうなると、アンニュイなはずの「フォルラーヌ」も精確な彫像を見るかの思い。「フーガ」や「メヌエット」の小粋でさらりとした風情を経て、最後の難曲「トッカータ」では立体的な音響構造の面白さが際立った。

河村は、思い切りが良いみずからのピアニズムを徹頭徹尾、貫いた ⒸFUMITO
河村は、思い切りが良いみずからのピアニズムを徹頭徹尾、貫いた ⒸFUMITO

後半はロシアに移り、まずラフマニノフの幻想的小品集から第1番「エレジー」変ホ短調。プログラム全体の接着剤として、河村は深々とした哀感を繰り出し、濃密な運びで聴き手をぐいとつかんだ。

最後に置いたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、友人ハルトマンの遺作展を見て回った際の印象が創造意欲を刺激し、作曲された。ラヴェル編曲による管弦楽曲版があまりに有名だが、オリジナルのピアノ版はロシア色が濃厚で、原典ならではの魅力がある。

河村は各曲の性格を丁寧に描き分け、コントロールが行き届いた力演にまとめた。何度も現れる「プロムナード」からして、気分の変化を如実に描きだす。「こびと」の骨太な押し出しやミステリアスな雰囲気、「テュイルリーの庭」などのコミカルな運動性を経て、「カタコンベ」でのわびしさや虚無感は、今回のコンセプトに最も近しい場面となった。「キエフの大門」のスケール大きなクライマックスで、精神的にも技巧面でも成熟した境地をアピールして、堂々たる結びとなった。

(深瀬満)

プログラムの最後、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」では、各曲の性格を丁寧に描き分け、コントロールが行き届いた力演を繰り広げた ⒸFUMITO
プログラムの最後、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」では、各曲の性格を丁寧に描き分け、コントロールが行き届いた力演を繰り広げた ⒸFUMITO

公演データ

河村尚子 ピアノ・リサイタル

9月25日(木) 19:00東京オペラシティ コンサートホール

プログラム
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K.310
ラヴェル:クープランの墓
ラフマニノフ:幻想的小品集 Op.3より 第1番「エレジー」変ホ短調
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

アンコール
ナディア・ブーランジェ:新たな人生に向かって

これからの他日公演
9月28日(日)14:00 ふくやま芸術文化ホール リーデンローズ 小ホール

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深瀬 満

ふかせ・みちる

音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。

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