アメリカンな歌を通してバリトンの声の可能性が限界まで表現された
1曲目のアイルランド民謡「ダニー・ボーイ」を除けば、次の「シンプル・ギフト」からアメリカの歌が並ぶ。いっては失礼だが、軽めの歌ばかりだと受け止めていたところ、最初から濃密な叙情世界が色彩豊かに広がるのに驚いた。
サブタイトルは「Beyond Classic」、つまり「クラシックを超えて」だが、大西が舞台上で語ったには、そうした曲で狙うのは、「バリトンの声をどのくらい限界まで試せるか」だという。そう聞いて得心した。

続くフォスター「ケンタッキーの我が家」と「金髪のジェニー」も、自然な英語が溶け込んだ柔軟なフレージングで、哀愁を漂わせながら歌詞の世界を豊かに広げる。気づかされるのは、発声もテクニックも、大西がオペラの舞台で聴かせるものとまったく同じだということだ。そのひときわ堅固な土台の上に、本物の書家が小筆による細密な文字から大筆による揮毫(きごう)まで自在に書き分けるように、作品世界を「限界まで」縦横に表現する。
今回、ほぼ全曲が、大西と同じくジュリアード音楽院で学んだピアノの中野翔太によるオリジナルのアレンジだという。ガーシュウィンの作品集では、ジャズのリズムに乗って豊かな声が充満する。その声は、たとえばヴェルディを歌う際と同じ発声に依拠するが、色彩やニュアンスを通して、ジャズのリズムに見事に溶け込む。高音の自然な輝きにも驚かされる。

後半はミュージカルだったが、映画「慕情」より〝愛はきらめきに満ちて〟も「南太平洋」より〝魅惑の宵〟も、確かに支えられた声が満ちて高い品格が表現される。オペラのためのテクニックが抜きんでているので、こうして高い品位を保ちながら、高みの向こうにオペラではなく、あくまでも洗練されたミュージカルとしての魅力を漂わせる。この逆説的な歌唱は、まさにバリトンの声が「限界まで」試された結果である。

その後も大西の表現は、張りのある声と頭声、哀愁と力強さの間を自在に行き交った。しかし、歌のフォームは決して崩れず、中野の見事なピアノに導かれながら、歌の世界を「限界まで」引き出した。アンコールの「上を向いて歩こう」も、この前向きな歌がピアノのジャズの世界と化学反応を起こし、たがいに溶け合っていく。こうして声を溶かす力に驚かされる。

あらためて大西の力とさらなる成長に驚愕(きょうがく)した一夜。当面、これらの曲をほかの人の演奏で聴くのは、私には困難である。
(香原斗志)
公演データ
プラチナ コンサート・シリーズ Vol.19
大西宇宙 バリトン・リサイタル
Beyond Classic~ミュージカル&映画音楽の名曲を歌う~
7月11日(金)19:00 Hakujyu Hall
バリトン:大西宇宙
ピアノ:中野翔太
プログラム
第1部:アメリカン・トラディションとクラシカル・ソング
アイルランド民謡:ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)
アメリカ民謡:シンプル・ギフト(讃美歌)
S.フォスター:ケンタッキーの我が家
S.フォスター:金髪のジェニー
坂本龍一:アンダークールド(ピアノ・ソロ:中野翔太)
[G.ガーシュウィン作品集]
シュトラウス賛歌
映画「シャル・ウィ・ダンス」(1937)より〝この想いは誰にも奪えない〟
映画「華麗なるミュージカル/ゴールドウィン・フォリーズ」より〝私たちの愛はここに〟
ミュージカル「ガール・クレイジー」より〝この腕に君を〟
第2部:ミュージカル
S.フェイン:映画「慕情」より〝愛はきらめきに満ちて〟
ロジャース & ハマースタイン:ミュージカル「南太平洋」より〝魅惑の宵〟
L.バーンスタイン:ミュージカル「ウェストサイドストーリー」より〝マリア〟
G.ガーシュウィン=中野翔太:歌劇「ポーギーとベス」より〝サマータイム〟(ピアノ・ソロ:中野翔太)
C.-M.シェーンベルク:ミュージカル「レ・ミゼラブル」より〝星よ〟
M.リー:ミュージカル「ラ・マンチャの男」より〝見果てぬ夢〟
ロジャース&ハマースタイン:ミュージカル「回転木馬」より〝人生ひとりではない〟
アンコール
ジーン・シェア:アメリカン・アンセム
中村八大/永六輔:上を向いて歩こう

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。