アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

誠実な演奏から種々の感情を色濃く突きつける、迫真のドキュメント

2025年も夏になれば、ドミトリー・ショスタコーヴィチは没後50周年。そして、J.S.バッハは没後275周年となる。歳月はめぐり社会は変容するが、人間感情の真実はそう変わらない。いや、変わる時代環境や様式のなかでなおも変わらない心を現前させるように、強く痛切に音楽はその内に潜り込んでいくのだった。

アレクサンドル・メルニコフの「24のプレリュードとフーガ」Op.87の全曲演奏は、その生々しくも迫真のドキュメントとなった。10年前と2012年の春にも彼は東京で全曲演奏を聴かせていたが、このたびなおも強く心揺さぶられたのは、あたかも個々の楽曲が奏者に迫ってくる強度が、そのまま彼の演奏が聴き手個々に食らいついてくるかのような、激しく劇的な情動の率直さゆえだ。

アレクサンドル・メルニコフ (c)Julien_Mignot
アレクサンドル・メルニコフ (c)Julien_Mignot

作品の巨大でロシア的な性質も大きいが、よく吟味された細部への配慮と綿密な構築の統制からはみ出るとしても、多様な局面に応じて迸(ほとばし)る感情を勢いよく噴き上げた演奏だった。理知や冷静さを超えて、惹起(じゃっき)する感情を妨げないという意味においてである。テンポを大きく速めたところもあったが、その場で沸き上がる感興に正直に沿ったのだろう。
それでも、曲ごとの大きな構成、流れや着地点、前後の曲との対照性や連繋、そして全曲を通じたアーチを構築することは徹底しており、激しい情動と鬩(せめ)ぎ合うようにメルニコフの明確な視座は保たれる。楽曲の調性や形式をいったん枠づけはしながらも、ショスタコーヴィチがどれほどの自由と逸脱を冒し、多様な心理をもつ人間の諸相を強く籠めていったかを鮮烈に生き直していく。

作品と演奏家のきわめてロマンティックな性質が、たっぷりと量感に満ちた音の響きをもって、容赦なく溢れ出たとも言える。メルニコフには珍しく細部の乱れも散見されたが、いっぽうで明敏に見据えられた鎮静や束の間の安寧が引き立った。激しいコントラストを生き抜くことが、調性や様式が拡張されたこれらの果敢な地平を歩むための要諦であるかのように。

48曲それぞれの表現については触れる紙幅もないし、それ以前にこれは全体的な体験なのだった。メルニコフの誠実な演奏から色濃く突きつけられてくる種々の感情は、あまりに人間的で、強く、脆(もろ)く、だが逞(たくま)しい。かなり奇妙で、赤裸々で、しかしどうしようもなく真実であった。
(青澤隆明)

公演データ

アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

6月28日(土)17:00 TOPPANホール

ピアノ:アレクサンドル・メルニコフ

プログラム
ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ Op.87

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青澤 隆明

あおさわ・たかあきら

音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。

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