アルゲリッチが世代を超えた新旧の仲間たちと織りなした室内楽
別府アルゲリッチ音楽祭が第25回を迎えた。大分の風土や人々とともに、それだけの歳月が温められてきたということだ。温泉が冷めることがないように、アルゲリッチの音楽への切実な希求は熱いままだ。いったん勢いよく湧き出せば、とめどもなく生命を謳う。ミッシャ・マイスキー、川本嘉子、川久保賜紀、上野通明という世代を超えた新旧の仲間たちと織りなした東京での室内楽公演でも、その一端にまざまざと触れることができた。

アルゲリッチの凄さは、ほどなく84歳になるにもかかわらず、円熟や老成には与せず、おそらく少女時代からそう変わらない頑固な真剣さで音楽を求める必死さにある。繊細さと豪胆さが、綱渡りの緊張のもとで危ういバランスを保っている。愚直なほど正直で真率である姿勢は、気のもちようや好不調に関わらず決して弛まない。驚嘆すべきピアノの弾けかたは衰えを受けつけず、さらに表現と心情の濃やかさを滲ませてきている。

今春は得意のラヴェルの独奏曲が、東京のプログラムにものせられて期待が募った。コンサートはマイスキーが心の赴くままに弾くバッハのト長調組曲で幕開け。アルゲリッチはそれを受けて、ト短調の「イギリス組曲」からガヴォットを予告なく加え、いかにもフランス・バロック風にラテン調に威勢よく強く色めかせると、その勢いのまま「水の戯れ」へ流れ込み、「オンディーヌ」へと渡っていった。ラヴェルはいずれも生命に躍る野生の水の鮮やかさ。後者もここでは怪奇幻想の枠を出て、ひと繋がりの同じ水質で紡がれた。

川久保、川本、上野が、ドホナーニ初期のハ長調セレナードを堂々と分厚く演奏して存在感を示すと、アルゲリッチが再登場。川本がヴァイオリンに巧みに持ち替え、上野のしなやかなチェロと、ハイドンのト長調トリオで、明快な対話をいきいきと機敏に聴かせた。まずはシンプルな美しさと優美な歌を通わせ、終楽章のハンガリー風ロンドを気魄に漲(みなぎ)る快走でたたみかけた。

後半は、アルゲリッチとマイスキーのデュオから。「コル・ニドライ」でユダヤの典礼と哀歌をきわめて繊細に歌い上げ、ショパンに入ると活気に充ちた対話を輝かしく弾ませて、姉弟のように気心の通じた信頼のデュオを綴った。メンデルスゾーンのニ短調トリオでは、両者の濃密にロマンティックなうねりに、川久保が気丈かつ精細に応じ、めくるめくドラマが織りなされる。野性と直観の鋭敏さが冴えるダイナミックなフィナーレで大団円。満場の聴衆を迸(ほとばし)る情熱で包み込んだ先に、シューベルトの歌を密やかに添えるまで、盛り沢山なだけでなく巧妙なプログラムで、親密と信頼の流れを多様に息づかせていった。
(青澤隆明)
公演データ
第25回記念 別府アルゲリッチ音楽祭 日本生命presents ピノキオ支援コンサート
室内楽公演~今を生き、未来を創る
5月28日(水)19:00東京オペラシティ コンサートホール
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
チェロ:ミッシャ・マイスキー
ヴァイオリン:川久保 賜紀
ヴィオラ・ヴァイオリン:川本 嘉子
チェロ:上野 通明
プログラム
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番ト長調BWV1007
J.S.バッハ:イギリス組曲 第3番ガヴォットⅠ、Ⅱ(ミュゼット)BWV808
M.ラヴェル:水の戯れ
M.ラヴェル:夜のガスパールから「オンディーヌ」
E.ドホナーニ:弦楽三重奏曲のためのセレナード ハ長調Op.10
から抜粋
F.J.ハイドン:ピアノ三重奏曲 第39番ト長調Hob.XV:25「ジプシー」
M.ブルッフ:コル・ニドライOp.47
F.ショパン:序奏と華麗なるポロネーズ ハ長調Op.3
F.メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番ニ短調Op.49
アンコール
シューベルト:君こそわが憩いOp.59-3 D776
(マルタ・アルゲリッチ、川久保賜紀、ミッシャ・マイスキー)

あおさわ・たかあきら
音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。