東京・春・音楽祭2025 ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 I ソロ・リサイタル

深く透明な音で、シューベルト晩年の名作に生命を宿す

ピアノや室内楽のユニークな企画も注目すべき東京・春・音楽祭に、ウィーンで大いに愛されるルドルフ・ブッフビンダーが78歳で再登場。昨年のベートーヴェン・チクルスを経て、この春はシューベルトに集中。3夜の幕開けはソロで、早すぎた晩年の名作を弾いた。

ルドルフ・ブッフビンダーが、今年も東京・春・音楽祭に登場した (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025
ルドルフ・ブッフビンダーが、今年も東京・春・音楽祭に登場した (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025

「4つの即興曲」D899は、ハ短調の第1曲から躊躇(ためら)いと溜めを含みつつ歌い出し、悲劇的な情調に煽られるように進む。上声を立てたり、低声を出したりする工夫もさりげなく織りなすが、場面ごとの情感の変化や転調の効果を特別に強調はしない。曲集を通じて音数が多く、急(せ)いてくると細かなところでもたつきもみせる。感情が青年の若さを謳おうとするのに、表現の外形が釣り合わないのが、正直な人だけに苦しくみえる。ときに人間らしい脆(もろ)さも覗(のぞ)くが、ストレートに情感を生きるのが、ブッフビンダーの純朴で人懐こい魅力だ。

最後のソナタ変ロ長調D960では、瑞々(みずみず)しいリリシズムとパセティックな青年の情趣をもって歩みを進めていった。深く透明な音も生命感を増し、即興曲より明らかに覇気が宿って、全体にベートーヴェン風でもある。第2楽章も前のめりの切迫と緊張を内的に保ちつつ、速めのテンポで弾き進めた。主題間の性格の違いにもさして拘泥しないし、さらに言えばスケルツォ楽章でも同主短調のトリオと殊更コントラストを強調することはなかった。
そのため性格が一様に傾くきらいはあるが、その分、生き急ぐような切迫を全楽章通じて貫くことにも繋がった。本ソナタでは前後半の楽章の組み立てや全曲の終結に難をみせる演奏が大半だが、ここでのブッフビンダーは一本気に勢いを保持し、遍(あまね)く足早に生き急ぐことで、全楽章をひと連なりに並置し、情緒的にも均質性をもって結んで行ったとも言える。

シューベルトの生涯最後のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調では、深く透明な音も生命感を増し、即興曲より明らかに覇気が宿っていた (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025
シューベルトの生涯最後のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調では、深く透明な音も生命感を増し、即興曲より明らかに覇気が宿っていた (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025

アンコールにベートーヴェンの「テンペスト」Op.31-2の終楽章が弾かれると、先述の急いた気質とこれが地続きであることも明瞭になった。この後、グリュンフェルトによるヨハン・シュトラウスのワルツのパラフレーズを、軽く煌(きら)びやかな音で華麗に披露。ここまでの青年の真情から一転、社交的な挨拶を洒脱に輝かせて、ウィーン音楽の夜はおひらきとなった。

(青澤隆明)

終演後にサイン会が行われ、ファンを喜ばせた (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025
終演後にサイン会が行われ、ファンを喜ばせた (C)平舘平/東京・春・音楽祭2025

公演データ

東京・春・音楽祭2025
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 I ソロ・リサイタル

4月15日(火)19:00東京文化会館 小ホール

ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー

プログラム
シューベルト:4つの即興曲D899
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調D960

アンコール
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第17番ニ短調Op.31-2「テンペスト」より第3楽章
アルフレート・グリュンフェルト:ウィーンの夜会-ヨハン・シュトラウスのワルツによるコンサート・パラフレーズOp.56

他日公演:
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ) シューベルトの世界Ⅱ N響メンバーとともに
4月18日(金)19:00東京文化会館 小ホール
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 II | 東京・春・音楽祭

ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ) シューベルトの世界Ⅲ N響メンバーとともに
4月19日(土)18:00東京文化会館 小ホール
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)シューベルトの世界 III | 東京・春・音楽祭

Picture of 青澤 隆明
青澤 隆明

あおさわ・たかあきら

音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。

連載記事 

新着記事 

SHARE :