カオスから軋むように現れるヨハン・シュトラウス
2025年は「ワルツ王」と呼ばれたヨハン・シュトラウス2世の生誕200年。地元ウィーンでも様々な記念行事が行われるなか、1958年生まれのオーストリア人作曲家ヴォルフガング・ミッテラーは「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作曲にまつわるエピソードに想を得て、シュトラウスの名曲18作品に電子音や効果音も交え、全体で75分ほどの「リミックス」ヴァージョンを制作した。江藤光紀氏(音楽評論家)の解説によれば、「艶福家」で知られた作曲家はしばしばゴシップ誌の標的となり、粋な仕返しの意味もこめて雑誌名をもじった「トリッチ・トラッチ」を書いた。ドイツ語のTratsch(トラッチ)は「お喋り」を意味し、作曲当時のウィーン社会の賑わいを活写する意図もある。

演奏を担うクラングフォルム・ウィーンは同時代音楽の腕利き集団。弦はヴァイオリン3人、ヴィオラとチェロが2人ずつ、コントラバスが1人と小編成で、管も基本1パート1人だが、とにかく良く鳴る。そこにアコーディオン、ピアノ、キーボード、ハープ、いくつかの打楽器が加わり、ミッテラーの意図した音響効果を高い解像度で再現する。指揮のティム・アンダーソンは英国系ドイツ人の若手。どのナンバーにもきびきび、ダイナミックな音楽を求めるが、切り口が「1つだけ」に偏り、ウィーン風の揺らぎや曖昧模糊(もこ)の含蓄が吹き飛んでしまった憾(うら)みはあった。

ミッテラーによる再構築の基本も、冒頭は響きのカオスで意表を突きながら次第に原曲が姿を現し、アコーディオンや打楽器、効果音の再生が独自の軋(きし)みを与える手法で一貫する。最初は同一パターンの繰り返しとも思えた。だが2008年にリリースしたアルバム「ベートーヴェン/ミッテラー:Nine In One」を帰宅後に聴くと、アプローチの反復が次第に作曲家の核心へと迫り、聴き手に名曲の新たな魅力を開眼させる手腕の巧みさに気づいた。「トリッチ・トラッチ」の根底にもシュトラウスへの深いリスペクトがあり、華やかな女性関係や世俗的な成功の裏に潜む芸術家の孤独まで描く手腕は見事だった。これにDJが入り、ワインでも片手に聴けたら、もっとご機嫌だったに違いない。

クラングフォルムのメンバーは多国籍だ。固有の奏法や語法を共有するウィーン・フィルとは対極の存在のように見えるが、旧ハプスブルク帝国の首都として、多種多様な人種と文化の交差点の歴史を刻んできた街のアイデンティティーをかえりみた時、彼らもまた「ウィーン人」であり、それにふさわしい音楽を奏でていたのだと思う。
(池田卓夫)
公演データ
東京・春・音楽祭2025
クラングフォルム・ウィーン II J.シュトラウス2世 生誕200年に寄せて
3月28日(金)19:00東京文化会館小ホール
指揮:ティム・アンダーソン
管弦楽:クラングフォルム・ウィーン
プログラム
J.シュトラウス2世 ― great hits / a remix
W.ミッテラー:トリッチ・トラッチ(日本初演)
アンコール
W.ミッテラー:トリッチ・トラッチ より 「ピチカート・ポルカ」「ペルシャ行進曲」

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。