ドラマティックな新レパートリーを豊潤な声でやわらかく 理想的な進化を遂げたグリゴーロ
イタリアのスターテノール、ヴィットリオ・グリゴーロ。これまで何度か日本でコンサートを開催したが、今回は従来と内容が違った。歌う曲をすっかり入れ替えたのである。結論を先にいえば、新しいレパートリーによるスケールアップを確信した。

最初の2曲は「トゥーランドット」の〝泣くな、リュー〟と「西部の娘」の〝やがて来る自由の日〟。これまでなら、テノーレ・リリコのグリゴーロが歌うには劇的すぎると判断されるような曲だが、声をやわらかく響かせ、フォルテからピアニッシモまで自在に行き来して旋律に弾力がある。身体的パフォーマンスが派手なので勘違いしがちだが、声は力まかせのところがなく、万全のテクニックで自然に発せられている。
「マノン・レスコー」の〝なんと素晴らしい美人!〟では、女性に心を奪われた若者の甘く香るような心情が丸みを帯びた声に漂い、「外套」の〝お前の言うとおりだ〟では、悲痛さを肉厚な響きに織り込む。そして「トゥーランドット」の〝誰も寝てはならぬ〟の、伸びやかさと圧倒的な広がり。ここまでプッチーニの劇的な役ばかり、持ち前のやわらかい声をあくまでも柔軟に響かせながら、無理なく大きなスケールで歌い、圧巻だった。

東京フィルハーモニー交響楽団を指揮したレオナルド・シーニがまたいい。二期会の「ドン・カルロ」等でも注目された若き実力派で、「マノン・レスコー」間奏曲は絶妙なアゴーギクで曲に立体感をあたえる。「ラ・ジョコンダ」の〝時の踊り〟はシャープに展開し、一気にアッチェッレランドをかけて引き締める。こうしたピースに聴き応えがあり得をした気分だったが、グリゴーロの呼吸に合わせる力も秀でていた。
後半は「アドリアーナ・ルクヴルール」「アンドレア・シェニエ」「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」と、ヴェリズモのアリアばかりが並んだ。グリゴーロはドニゼッティや初期ヴェルディを歌うときは、「もう少し端正に歌えば曲の完成度もさらに高まるのに」と思うことがあったが、独特のパフォーマンスはヴェリズモでこそ活かされると実感した。
しかも、その声は豊かでありながら、終始やわらかさが失われず、激情を表現しても繊細さが同居している。ヴェリズモやプッチーニの劇的な役は、こう歌われたいと望んでいたに違いない、と思える歌唱であった。グリゴーロは明らかに、新たなステージへと進んだ。
(香原斗志)

公演データ
旬の名歌手シリーズ─ XII ヴィットリオ・グリゴーロ テノール・コンサート
3月15日(土) 15:00東京文化会館
テノール:ヴィットリオ・グリゴーロ
指揮:レオナルド・シーニ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
プログラム
【第1部】プッチーニに捧ぐ
ジャコモ・プッチーニ:
歌劇「マノン・レスコー」〝なんと素晴らしい美人!〟〝間奏曲〟
歌劇「外套」〝お前の言うとおりだ〟
歌劇「修道女アンジェリカ」〝間奏曲〟
歌劇「西部の娘」〝やがて来る自由の日〟
歌劇「トゥーランドット」〝泣くな、リュー〟〝誰も寝てはならぬ〟
アミリカーレ・ポンキエッリ
歌劇「ラ・ジョコンダ」〝時の踊り〟
【第2部】ヴェリズモ(真実主義)
フランチェスコ・チレア:
歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」〝私の心は疲れ〟
ウンベルト・ジョルダーノ:
歌劇「アンドレア・シェニエ」〝ある日、青空を眺めて〟〝五月の晴れた日のように〟
歌劇「フェドーラ」〝間奏曲〟
ピエトロ・マスカーニ
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」〝間奏曲〟〝母さん、あの酒は強いね〟
歌劇「友人フリッツ」〝間奏曲〟
ジャコモ・プッチーニ
歌劇「妖精ヴィッリ」第2の間奏曲〝夜の宴(妖精たちの踊り)〟
ルッジェーロ・レオンカヴァッロ
歌劇「道化師」〝衣装をつけろ〟
アンコール
ウンベルト・ジョルダーノ:歌劇「フェドーラ」より〝愛さずにはいられぬこの思い〟

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。