エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル

洗練の極みと包容力〜エフゲニー・キーシン(ピアノ)の円熟

エフゲニー・キーシン(1971年モスクワ生まれ)は旧ソ連の天才少年として早くから注目され、「西側」へのデビューは1986年の日本だった。以後、一切のコンクール歴なしにカーネギーホール、ザルツブルク祝祭大劇場を満員にする大ピアニストへと成長した。50代の円熟期に入った現在、かつてのエミール・ギレリスを彷彿(ほうふつ)とさせる洗練の度を加え、大ホールの聴衆全員に感銘を与える包容力の持ち主になったと実感した。

拍手喝采を受けるエフゲニー・キーシンⒸNaoya Ikegami
拍手喝采を受けるエフゲニー・キーシンⒸNaoya Ikegami

ベートーヴェンの最初の音を聴き、メタリックの真逆、木質系の温かな響きが入念に吟味された奏法から立ち上るのに感心する。根底には強靭なテクニックの鋼があり、弱音にもしっかりとした芯が通る。穏やかな佇まいから、幻想の雰囲気が自然に立ち上った。

ショパンはデビュー当時から得意とする作曲家。美しく格調高く、抑制を利かせた「ノクターン」に続く「幻想曲」は技巧的課題のはるか先にある再現、デモーニッシュな世界すら感じさせた。

後半はブラームスで始めた。作品10の第1曲は力みを排し、慈しむかのように弾き始められ、最強音でもゆとりのある打鍵がブラームスの温もりを伝える。第2曲の巧みな歌わせ方、第3曲のリズムの切れ、第4曲の弱音でも一貫する親密な語りかけのすべてにおいて、キーシンが円熟のヴィルトゥオーゾ(名手)となった実態をつぶさに物語る。

ブラームス「4つのバラード」での一貫した親密な語りかけは、キーシンの円熟を感じさせたⒸNaoya Ikegami
ブラームス「4つのバラード」での一貫した親密な語りかけは、キーシンの円熟を感じさせたⒸNaoya Ikegami

プロコフィエフも早くから手がけたレパートリー。現在のキーシンは初期ソナタの率直なモダニズムの裏に潜むロシアの民話世界や伝統文化にも目を配り、構造の面白さや溢れ出る抒情を細大漏らさず、そして絶対の品格を保ちながら再現して喝采を浴びた。

アンコールはショパン、プロコフィエフ、ブラームスときたので「次はベートーヴェンか?」と期待したが、3曲で終わった。客席の熱狂に応えてアンコールを10曲以上、1時間に及んで弾き続けたのは、さすがに過去の思い出となったようだ。

(池田卓夫) 

公演データ

エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル

12月2日(月) 19:00サントリーホール大ホール

プログラム
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番ホ短調Op.90
ショパン:ノクターン第14番嬰へ短調Op.48-2
ショパン:幻想曲ヘ短調Op.49
ブラームス:4つのバラードOp.10
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第2番ニ短調 Op.14

アンコール
ショパン:マズルカ イ短調 Op.67-4
プロコフィエフ:歌劇「3つのオレンジへの恋」より〝行進曲〟
ブラームス:ワルツ第15番 Op.39-15

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池田 卓夫

いけだ・たくお

2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。

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